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芸術を扱った第一部、精神科学(歴史)を扱った第二部に続いて、ガダマーは本書第三部で、言語を扱う。しかし、言語は芸術や精神科学と、単にあい並ぶ領域ではない。第三部のタイトルに「存在論的転回」とあるのは、そこで、解釈学が歴史家による伝承(テクスト)の理解のレベルから、存在と人間の関係、世界と言語の関係という、より包括的・普遍的で根源的なレベルに移され拡張されたからである。解釈学はここではもはや、単なる精神科学論ではなく、理解(Verstehen)は精神科学固有の認識様式ではない。 言語は、考えたり認識したりした内容を人に伝える必要が生じたときはじめて手に取る道具ではなく、思考や認識にいわば棲みついていて、そのため、言語として意識されることは普段はない。だから、道具主義的な言語概念はガダマーの批判の対象であるが、彼の言語論はそれ以上のものである。というのも、彼において、言語は思考や認識とだけでなく、存在(事柄、世界)とも一体であり、それが表す存在によって、いわば重しをつけられている。事柄そのものがまず在り、それが事後的に言語でかたどられる、というのではない。言語という媒体を通してこそ世界は開かれ、事柄は現前する。言語には、言われた事柄だけでなく、言われざることも含めて、その全体が潜在的な仕方で現れている。 |
目次 |
第3節 解釈学的存在論の地平としての言語 a 世界経験としての言語 b 言語という中間とその思弁的構造 c 解釈学の普遍相 付論 I-VI 付録 解釈学と歴史主義 第三版あとがき 原注 訳注 訳者あとがき(轡田收) 全巻索引巻末 |