東京理科大学 経営学部 研究室 巻田研 巻田悦郎 著作目録

ガダマー『真理と方法』第II巻(法政大学出版局)要旨




第I章 歴史的準備
第1節 ロマン主義解釈学およびその歴史学への適用における問題点
 a 啓蒙主義とロマン主義のあいだに起きた解釈学の本質変化
 α ロマン主義解釈学の前史
 解釈学の歴史は過去の再構成を目指すディルタイの立場ではなく、現在への過去の媒介に解釈学の課題を見る立場から記述し直すならば、まったく違ったものとなる。
 プロテスタント神学は聖書を伝統に拠らずに、字義通りの意味で理解しようとしたが、聖書の意味はかならずしも明瞭ではないので、解釈学的循環という古い原理を適用した。しかしながら、これは聖書の統一性を前提することであった。一八世紀になると、聖書は複数の著者によって異なる時期に書かれたことが明らかにされ、こうした教義的な前提が崩れた。文書はそれが書かれた生活連関から理解されるべきなのである。こうして、文献学は古典古代を模範とすることをやめ、歴史学の方法となった。
 シュライアーマッハーの先行者たちは、まだ、伝承の内容から理解の技法を規定していた。たとえば、クラデニウスにとって重要なのは事柄の理解であり、解釈は理解を妨げる箇所があったときにのみ必要になるものであった。これに対して、シュライアーマッハーは伝承内容とは独立に、思想の理解という根源的関係から、神学にも文献学にも共通する手続きの統一性を求めた。同時に、これによって、伝承は疎遠なものとなり、誤解の可能性はあらゆる言説にあると考えられるようになった。

 β シュライアーマッハーの一般解釈学の構想
 いまや理解されるべきは言説やテクストの意味ではなく、対話相手ないし著者の個性である。こうしたわけで、著者の心理状態に自己を移入するという、シュライアーマッハー心理学的解釈が、のちの世代に決定的な影響を与えることになった。この解釈では、談話やテクストは内容にとらわれない自由な構成と見なされる。シュライアーマッハーは解釈学的循環を心理学化しもした。テクストは著者の生という全体から理解されるべきなのである。部分に対する全体の相対性や個性の解き明かしがたさにもかかわらず、どんな個人も、同じひとつの全体的生の表れであるという個性形而上学にもとづき、共感的に理解し尽くされる。
 シュライアーマッハーは対話に対してテクストの理解に特別な困難を認めなかった。たしかに、彼は解釈者に、自分を最初の読者と同等化することを求めたが、これは理解の操作の一部にすぎない。
 「著者を自身が理解していた以上に理解すべきだ」というシュライアーマッハーの定式は、解釈者が著者にとって無意識なことを意識化して、著者に対する優位を勝ち取ったことを意味する。ボルノーはこの定式が元来文献学者の職人的規則であったと推測したが、文献学者は人文主義者として古典という模範に従おうとしたのであり、この推測は間違っている。フィヒテなどでは、この定式は事柄を概念的に明瞭にしようという要求を表していた。シュライアーマッハーにおいてはじめて、この定式の意味が変質したのである。

 b ロマン主義解釈学への歴史学派のつながり
 α 普遍史の理想に対する困惑
 歴史の全体は不明であるし、また、歴史家自身が普遍史に属しているのであるから、歴史はテクストがもつような完結性を欠く。だから、歴史に解釈学的循環の規則は適用できないはずである。だが実際には、歴史学派はこれを歴史に適用した。解釈されるべきは、解釈者から切り離された意味の全体、自分とは異なる個性である。
 啓蒙主義の目的論的歴史観察に対して、ヘルダーは過去の各時代が完結し反復不可能であることを示した。これに続いて、ヘーゲルの歴史哲学に対抗する歴史学派が、各時代に個性の現れの豊かさを認めたが、ここには、後続する出来事が先行する出来事の意味を決める内在的な目的論が暗に前提されていた。

 β ランケの歴史学的世界観
 ランケによれば、個人も国家も力である。力はその発現には尽きずその原因でもあるので、自由である。だが、この自由は、生成したものとして生成しつつあるものを連関に組み込む必然性によって制約されている。この力の概念によって、連関を歴史の一次的な所与と見なすことが可能になった。
 ランケもドロイゼンも歴史を「生成する総和」だとしたが、異質なものを合計するにはそこに、西欧文化世界の統一性という特定の前提が必要であった。この前提によって、神の知においてすべての歴史現象に共感し、その核心を見抜く歴史意識が可能になった。だが、歴史学派はこのような哲学的前提を十分には反省しなかった。ランケは依然としてドイツ観念論に近いところにいるのである。

 γ G・J・ドロイゼンにおける歴史学方法論と解釈学の関係
 ドロイゼンはたとえば表現概念によって、ランケ史学に概念的な正確さを与えた。ドロイゼンは内的なものこそ本来の実在であると考えていたが、しかし、個人の内面はその表現によってつながれ媒介されてており、その結果、歴史は行為者の意図を超えるという。
 彼はランケと同様に、力の概念によってヘーゲルの発展概念を批判した。歴史は、ひとびとの共同作業によって生み出される倫理的諸「力」に本質を有する。この諸力に個人はそれぞれの仕方で参与するのであり、その限りで自由は歴史の鼓動である。
 歴史家もまた特定の倫理的な諸力に制約されているので、自己を滅却して対象に一気に迫ることはできず、探索しながら少しずつ対象に近づいていく。しかしながら、ドロイゼンは最後には直接的な理解が可能になると考えていた。というのも、歴史は人間の表現であり、歴史家にとって同質的なものだからである。ドロイゼンもまた、歴史に解釈学的循環の規則を適用して、歴史を完全に理解可能なものと考えた。

 第2節 ディルタイの陥った歴史主義のアポリア
 a 歴史の認識論的問題から精神科学の解釈学的基礎づけへ
 ディルタイは歴史学派からその認識論的帰結を引き出そうとして、歴史の認識はいかにして可能かを問うた。彼は歴史認識の出発点を個人の体験に置いたが、だとすると、個人の体験はどのようにして、精神科学が対象とする歴史連関へといたるのか。この問題を彼は表現とその理解の関係から解決しようとした。その際に、フッサールの意味概念を受容して、生の連関を因果連関から区別した。
 歴史は個人にとって圧力や抵抗として経験されるが、根本的には、人間が作ったものである以上、本質的には、どんな疎遠さも含まない。こう考えることによりディルタイはその意図に反して、ヘーゲルの思弁的観念論に近づく。たしかに、彼は哲学や芸術をも生の表現としたが、絶対知の代わりに、どんな歴史現象にも自らを認識できる歴史意識を置いた。だが、人間は歴史的存在なのに、歴史意識は絶対知が占めていた地位につくことが可能なのか。

 b ディルタイの歴史意識分析における学と生の哲学との分裂
 ディルタイが主張する歴史家の歴史性は、実際には、主観的な条件にすぎなかった。彼は歴史認識に、構造概念や解釈学的循環の原理、比較の方法を適用したが、これは歴史家の歴史性を否定する歴史意識の要求に応ずるものであった。歴史意識は絶対知でも自己消去でもなく、他者を反省的な関係のなかに取り込んで所有してしまう意識である。
 生の哲学によれば、生それ自身にすでに知と反省がはたらいている。生は慣習などの共通なものに媒介されて一定の安定性を獲得し、生にはたらく知は一定の客観性を獲得する。生の哲学は相対主義の嫌疑と無縁なはずであるが、ディルタイがこの嫌疑を真剣に受け取ってしまった理由は、彼がデカルト主義を捨てきれなかったことにある。啓蒙主義の子ディルタイは科学の確実性を生固有の確実性と混同し、歴史的現実の不確実性の克服を前者に期待してしまった。この混同を助けたのが、ディルタイが受け継ぐロマン主義解釈学であった。歴史は、最後には解読可能なテクスト、精神史となり、歴史認識は精神の自己自身との出会いとなった。

第3節 現象学的探究による認識論的問題設定の克服
 a フッサールとヨルク伯における生概念
 晩期のフッサールにおいて明白になる、従来の哲学の客観主義に対する批判は、彼の『論理学研究』からすでに見られる。『論研』後、彼はあらゆる存在妥当を中断して、主観的な与えられ方を探究し始めるが、その過程で、志向作用の対象とはならない所与性を見いだす。体験流に未来と過去の地平があるように、存在者はすべて世界地平に与えられている。彼が生世界と呼ぶこの地平はあらゆる経験の基盤であるが、歴史的なものである。フッサールはこの生世界をさらに主観性の能作から基礎づけようとした。だが、彼の立場は超越論的観念論の徹底以上のものであった。この主観性は主観性と客観性が属し合う生である。
 フッサールはディルタイ同様、個々の表れを含み込む生へと遡ったが、しかし、彼らの生概念は認識論的な図式に疎外されて、生の思弁的な要求に応えていない。ヨルク伯においてこそ、生概念の思弁的内容が展開された。生は自らを世界から区別しつつ、そのような区別のなかで自己を保持する。思考や意識はこのような生の振る舞いなのである。

 b ハイデガーの解釈学的現象学の企て
 ハイデガーは生への遡及の考えを決定的なものとはい受け入れたが、フッサールらと違い、その認識論的含意への誘惑を退けることができた。たしかに、『存在と時間』はまだ超越論的問題設定に囚われていて、フッサール現象学の一展開と見なせなくはなかった。だが、彼の意図は最初から、西洋形而上学の存在忘却を批判することにあった。
 ハイデガーは理解を現存在の存在様態と規定することにより、従来の解釈学がはまった歴史主義のアポリアを乗り越えた。彼の意図は別のところにあったが、本書では彼の哲学の解釈学的意義を示す。ハイデガーによれば、理解は先行構造から規定され、この構造を通して、理解される事柄に自らを適合する。この被投性は現存在には追い抜けない事実性である。解釈学的に言えば、理解する者は伝統に帰属しており、これが理解の条件となる。
 ハイデガーの実存論的分析に特定の実存理想を見てしまう誤解を避ける点で、『存在と時間』の超越論的問題設定には意味があったので、本書でもこの実存論的分析に従う。

第II章 《解釈学的経験の理論》の要綱
第1節 理解の歴史性を解釈学の原理に高める
 a 解釈学的循環と先入見の問題
 α ハイデガーによる理解の先行構造の発見
 ハイデガーの分析が解釈学に対してもつ帰結は、精神科学で起きている理解の新しい理解である。その分析によれば、解釈者は思いつきに誘惑されずに、テクストの意味を予期し、この期待をテクストの事柄に照らして吟味し練り上げていく。この際、解釈者はあらかじめもつ意見を忘れたり排除したりはできない。他者の意見に耳を傾けて、それを自分の意見にかかわらせて、自己の先入見を意識しなければならない。
 先入見 (Vorurteil)は元来、あらかじめ下される判断のことであり、否定的にも肯定的にも評価される中立的なものである。ところが、啓蒙主義は方法的に確証された判断のみを真正な判断、先入見を根拠がない判断としてしまった。先入見の排除を要求する歴史主義は啓蒙主義の基盤に立ったままであるが、しかし、歴史認識は本来、そのような啓蒙的理想とは一致しえない。理解には先入見が本質的にかかわっている。

 β 啓蒙主義による先入見の信用喪失
 近代啓蒙主義は、解釈学の領域では、聖書を歴史的記録として、先入見なしに、ただ理性に基づいて解釈することを要求した。ロマン主義はロゴスとミュトスの対立という啓蒙主義の図式を、反転して受け継いだので、それが用いる神話や自然の概念は、自己意識を前提している。神話や中世にあこがれるロマン主義は、最終的には一九世紀の歴史学の成立を導いた。このように、歴史主義は啓蒙主義の徹底・完成なのである。
 人間は歴史に依存し、自己の運命を制御できない。個人はいつもすでに歴史や社会のなかで自己を理解しており、その意味で、判断よりも先入見のほうがそのひとの歴史的現実を成している。

 b 理解の条件としての先入見
 α 権威と伝統の復権
 啓蒙主義は先入見を権威によるものと早とちりによるものに分類した。権威と理性の対立を前提とするこの分類はシュライアーマッハーにまで形を変えながらも受け継がれた。
 権威は、あるひとが自分よりも判断について優れているという認識の行為に基づくものである。ところが、啓蒙主義は権威を、自由と絶対的に対立する盲目的服従のほうへと歪めてしまった。ロマン主義は伝統という権威を擁護したが、しかし、伝統を自由な自己決定の対立物にしてしまい、伝統主義に迷い込んだ。実際には、伝統と理性は無条件には対立しない。伝統は維持されるが、維持は理性の行為である。
 精神科学的解釈学において、伝統の権利が承認されるべきである。自然科学者と違い、精神科学者は伝統から語りかけられているからこそ、対象の意義を経験できる。自然科学の場合と対照的に、歴史家が描写する、歴史的出来事がもつさまざまな局面は進歩の直線のうえに並べることはできないから、過去の歴史家の記述は古くならない。

 β 古典性を例として
 古典性の概念は規範的な側面と歴史学的な側面をあわせもっていたが、歴史主義によってその規範的な意味が破壊された。新人文主義はこのふたつの側面をふたたび結びつけようとした。古典性概念は歴史的である。古典は歴史意識にも耐えられる、歴史的存在の傑出したあり方である。
 古典は、その時代に固有な仕方でその時代に語りかけ、時代の隔たりを自ら克服する。解釈する者はその古典に帰属していると意識する。たしかに、歴史意識をもつわれわれは作品を作品成立の時代から理解しようとするが、作品は同時に、理解する者の世界にも属している。
 このことは歴史学的活動全般に当てはまる。ロマン主義解釈学に反して、理解は過去が現在に橋渡しされる出来事なのである。

 c 時代の隔たりの解釈学的意義
 シュライアーマッハーにおいて理解の完成とともに消失するはずの、解釈学的循環というの形式的条件は、ハイデガーでは、けっして解消されない理解の存在論的構造契機となる。解釈者がテクストを理解する際にテクストに投げかける意味期待は、解釈者と伝承を結びつける先入見の共同性から規定され続ける。つまり、テクストの意味は歴史の全体から規定される。その結果、同じテクストは時代によって別様に理解される。
 解釈学はこのように伝承に結びつけられているが、同時に、歴史意識によって伝承から隔てられている。テクストと解釈者のあいだの時代の隔たりは、架橋されるべき深淵ではなく、伝承や由来に連続的に満たされている。この連続性の光のもとで伝承がわれわれに現れる。時代の隔たりは誤った先入見を濾過すると同時に、真の理解を可能にする真の先入見を現させる。

 d 作用史の原理
 作品の作用は作品理解につねにはたらいている。歴史意識が否認してきたこの作用は、完全に意識化することはできないが、意識化しようとしなければならない。
 歴史意識は解釈者に、テクストを現在から切り離された閉じた過去の地平のなかで理解することを要求するが、これによって、解釈者はテクストの真理請求に出会えなくなる。実際には、ひとつの地平が歴史の深みへと広がっていくだけなのである。たしかに、歴史意識がなお支配する今日、過去の声を現在の意味期待に性急に同化させてしまわないためにも、歴史的地平を頭のなかで描く必要がある。解釈者はその歴史的地平に身を移そうとするが、しかし、移される自己は現在の地平をもつ歴史的な自己である。こうして、歴史的地平は現在の地平へと融合する(地平融合)。解釈者は自己と他者の個別性を克服してより広い展望を得る。

第2節 解釈学の基本問題を取り戻す
 a 適用という解釈学的問題
 文献学的解釈学は適用という課題の共通性によって法解釈学や神学的解釈学と統一をなしていた。ロマン主義は、ロマン主義以前の解釈学が体系的な位置を与えていた適用を理解から排除して、この統一を解体してしまった。しかし、適用は理解の事後的でない統合的契機であり、理解は元来、テクストの意味の妥当化と承認に奉仕する。法律は法的効力が発揮されるように、聖書はひとびとを救済するように解釈されなければならない。精神科学での理解も同様であり、精神科学的解釈学を法解釈学や神学的解釈学の側からあたらに規定し直す必要がある。ベッティは解釈学を認知的解釈と規範的解釈、再生的な解釈に分解してしまうが、実際にはそのように分類はできない。

 b アリストテレスの解釈学的アクチュアリティ
 プラトンの主知主義を批判するアリストテレスは道徳知を欲求や態度のうえに基礎づけ、知を存在と互いに規定し合うものとした。一九世紀の誤った客観主義から解釈学を救おうとするとき、アリストテレス倫理学が手本となる。
 ソクラテスとプラトンは道徳知を技術知と一致させた。だが、道徳知は、本来あるべき自分の姿を「制作」するための知識、つまり技術知(テクネー)なのか。だが、行為者はつねに行為すべき状況におり、道徳知を、技術知ようにあらかじめ学んでおくことはできない。設計図と違い、自分のあるべき姿は、状況とは独立に確定できない。技術では明確な目的から手段が決まるが、道徳知では目的の考量と手段の考量が重なり合っている。
 道徳知におけるのと同様に、適用は理解を最初から規定している。解釈者はテクストの意味を理解するときはいつもすでにテクストを自分自身の状況に関係づけているのである。

 c 模範としての法解釈学の意義
 法史学者は司法的な課題に直面している裁判官と違い、法律の歴史的な意義を究明しようとするが、彼は法史学者である前に、その法律の先行的な理解のなかを生きており、この理解から法律の最初の意味を捉えようとする。このことはどんなテクストの歴史学的理解にも言える。学問的な聖書解釈もまた、聖書が救済の告知であることを無視できない。だから、解釈はテクストの意味に結びつけられているということは、すべての形式の解釈学に共通なのである。
 ある命令を理解しようとしている歴史家は、命令が下された状況を再構成するが、自身では命令を実行しない。この点では文献学は歴史学と同じ態度をとる。ただし、これは歴史意識の成立によって、文献学が歴史学の一分野になってしまったからである。しかし、文献学者は元来、人文主義者としてテクストの規範的な意味や模範性を求める。だが実は、歴史家も事実を確認するだけでなく、出来事の意味を決定する。となると、歴史学にも適用が行なわれているのである。歴史学は大きな文献学のことである。

第3節 作用史的意識の分析
 a 反省哲学の限界
 意識は意識されているものを超える性質がある。作用を意識するときに作用が反省に解消されないように、作用史的意識を考えなければならない。たしかに、反省に含み込まれないような立脚点は存在せず、直接性への訴えもそれ自身反省的な行為となってしまう。だがそれでも、有限な意識の立場からの思弁的思考批判はなんらかの真実を含んでいる。形式的な議論は反論不可能であっても、真実とは限らない。ヘーゲルの弁証法は形式的な議論を超えている反省哲学であり、歴史と現在の全面的媒介を説いた彼の精神哲学は解釈学にとって決定的な意義をもつ。だから、作用史的意識の構造をヘーゲルを顧慮しつつ、ヘーゲルから区別しつつ規定する必要がある。

 b 経験の概念と解釈学的経験の本質
 作用史的意識は経験の構造をもつ。従来の経験概念は科学に方向づけられ、経験の歴史性を見損なっている。フッサールとベーコンの経験概念は科学的認識に目的論的に関係づけられているために、手本にはできない。アリストテレスは多数の知覚から経験の統一がどう生ずるかを記述しているが、その際彼は科学の普遍性を前提してしまっている。
 経験においては、誤った一般化がたえず覆され、正しく広い知識が獲得される。ヘーゲルによれば、対象理解が誤っていることがわかると、対象だけでなく、対象についての知もまた変化する。しかし、ヘーゲルにおいて、意識の経験の道は経験の克服によって終わる。だが、真の経験はつねに新しい経験への開放性によって完成する。さらに、経験は単にあれこれについての経験ではなく、人間の限界と歴史性に対する洞察をももたらす。
 作用史的意識は経験のこの構造を反映していなければならない。《あなた》を人格として承認するが、《あなた》の立場を反省的に先取りしてしまうことにより《あなた》の直接性を失うならば、それは解釈学的には歴史意識の態度である。むしろ、《あなた》に自分に対してなにかを言わせる開放性が必要である。これは解釈学において作用史的意識に対応する。

 c 問いの解釈学的優位
 α プラトンの対話術という模範
 経験の開放性 (Offenheit)の論理的構造は問いである。問いは事柄をああかこうかの未解決 (Offenheit)の状態に置くからである。問いがもたらす未決定状態は無際限のものではなく、問いの地平により限界づけられている。だから、誤った問いや逸れた問いがありうる。
 知は問いと本質的な関係がある。知は正しいことを肯定し誤りを排除して、問いに答えを与える。支配的な意見(ドクサ)は問いを抑圧する。ひとは支配的な意見のなかで問いにひらめくようにいたる。問いがひらめいて、未解決な領域が現れ、支配的な意見に固執できなくなる。
 問答をするには、相手とともに歩み、議論の対象となる事柄の一貫した発展に導かれなければならない。こうして得られた真理は対話者たちの意図を超える。

 β 問いと答えの論理
 テクストを解釈するとは、テクストが立てる問いを理解することであるが、その際、解釈者は、テクストがひとつの答えである問いの地平を獲得しなければならない。コリングウッドは歴史認識を問いと答えの論理によって記述した。彼は出来事の意味への問いとその計画性についての問いを区別しなかったが、歴史の経緯が行為者の意図に従うのはむしろ稀である。歴史的出来事の意味はその後の経緯によって規定される。出来事は繰り返し更新されながらその同一性を保持する。テクストも同様である。
 テクストが解釈者に立てた問いによってその意見が未決状態に置かれた解釈者は、今度は自ら、解釈者はテクストがその答えであるような問いを再構成しようとするが、この再構成はテクストが立てた問いに解釈者が答えるなかで起きるので、テクストの理解は再構成を超える。このように、テクストの理解は問答(対話)として記述される。
 問いを自ら問わずに理解することはできるが、そのような問いはもはや真の問いではない。オックスフォード実在論者や新カント派の問題概念は、問いが起きる動機連関が捨象された間違った問い概念である。