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東京理科大学理学部第一部教養学科 中丸研究室

〒162-8601 東京都新宿区神楽坂1-3 Tel:03-5228-8160(研究室直通) Email:nakamart〔at〕rs.tus.ac.jp 〔at〕を@にかえてお送りください

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趣意

沿革

「プロジェクト人魚」は、アンデルセン『人魚姫』を共通テクストとした、各国語文学の研究者による共同研究プロジェクトとして、2011年12月に発足しました。

 本プロジェクトの特色は、日本文学、フランス文学、ドイツ文学など、言語や国家・地域を単位とする従来の文学研究とは対照的に、異なる言語を対象とする文学者が共同で研究を行う点、その中にスウェーデン文学というマイナー言語文学が含まれている点にあります。2013年度から18年度まで「世界文学としてのアンデルセン『人魚姫』の超領域的研究と教養教育への応用モデル」というテーマで、日本学術振興会より科学研究費助成金・基盤研究(C)の助成を受けて活動しました。その成果は、田中琢三ほか『イメージと伝達の国際日本学 セッションI 異界との交流』(シンポジウム&論文)、中丸禎子・加藤敦子・田中琢三・兼岡理恵編著『高畑勲をよむ 文学とアニメーションの過去・現在・未来』(三弥井書店)として公開しました。

2019年度より、新たな研究「明治・大正期の日独思想・文化交流の多角的研究:北欧作家ラーゲルレーヴを媒介に」(日本学術振興会 科学研究費助成金・基盤研究(C))を開始しました。『人魚姫』を共通テクストとした研究の趣意については、2014年6月16日から2020年3月19日まで当ウェブサイトに掲載した趣意(2014年~2020年)をご覧ください。

セルマ・ラーゲルレーヴとヴィルヘルム・グンデルト

 プロジェクト人魚代表・中丸禎子はこれまで、スウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーヴ(Selma Lagerlöf, 1858-1940)を研究してきました。『ニルスのふしぎな旅』の作者ラーゲルレーヴは長らく、日本では「母性的な平和主義作家」、ドイツでは「ナチのお気に入り作家」と対照的なイメージを持たれてきました。中丸の研究の関心は、同じ作家がなぜ対照的なイメージを持たれたのか、そして、作家は実際どのようなことを、どのような表現で書いているかということにありました。ラーゲルレーヴの日本における受容、つまり、ラーゲルレーヴが日本でどのように翻訳され、紹介されてきたかを調査する過程で、興味深い人物を見つけました。ヴィルヘルム・グンデルト(Wilhelm Gundert, 1880-1971)です。
 グンデルトは、ヘルマン・ヘッセ(Herman Hesse, 1877-1962)の従弟です。共通の祖父ヘルマン・グンデルト(Hermann Gundert, 1814-1893)はインド学者・言語学者・宣教師で、1838年から59年までインドに滞在しました。娘(ヘルマン・ヘッセの母マリー)や息子(ヴィルヘルム・グンデルトの父)はインド生まれです。ヘルマン・グンデルトのアジアへの興味は、孫のヴィルヘルムに引き継がれます。宣教師となったヴィルヘルム・グンデルトは、内村鑑三への興味から1906年に来日し、東京の第一高等学校、熊本の第五高等学校、水戸高等学校などでドイツ語を教えながら、日本語を習得し、日本の思想や宗教を研究しました。こうした中、グンデルトは、水戸高校の教え子である香川鉄蔵にラーゲルレーヴ『キリスト伝説集』のドイツ語訳をプレゼントします。これを機にラーゲルレーヴの存在を知った香川は、1918年に『ニルスの不思議な旅』の日本で最初の翻訳を刊行。『飛行一寸法師』という題でした。香川は「日本セルマ・ラーゲルリョーヴ会」を設立し(1963)、ラーゲルレーヴ受容の第一人者となりました。グンデルトは、内村『余は如何にして基督信徒となりし乎』や仏教書『碧巖錄』の独訳、博士論文『日本の能における神道』(1925/独語)により、ドイツにおける東アジア思想研究の一翼を担い、日独文化協会主事、ハンブルク大学日本学科教授、ドイツ東アジア自然・民俗研究所(OAG)所長として日独交流に努めました。1933年にナチ政権が樹立すると、ナチ党員としてハンブルク大学のユダヤ系教員・学生の除籍を推進し、第二次世界大戦後に公職を追放されました。

ファシズム思想の日独交流

 グンデルトに着目すると、日独交流の知られざる側面が見えてきます。これまで知られ、紹介されてきた日独交流は、医学・文学・思想などの学術交流、演劇・音楽・絵画などの芸術交流など「平和的」側面に光をあてたものでした。明治以降、ドイツを近代化のモデルとしていた日本には、さまざまなドイツの思想・文化が伝わっています。その中には、ナチズムの根拠となった「郷土芸術」「血と大地」など「負」の思想・文化も含まれているはずです。また、一見「平和的」に見える思想・文化も「負」の思想・文化の影響下にあったはずです。しかし、それらの紹介はなされず、研究も体系化されていません。ファシズム期の作家や思想家が紹介されるときには、ヘルマン・ヘッセのような平和主義作家、トーマス・マンやベルトルト・ブレヒトなどの抵抗作家、パウル・ツェラーンやヴァルター・ベンヤミンなど亡命作家・思想家が中心でした。
 一方、1990年代以降のドイツや日本で、ナチ文学が研究の俎上に載っています。中丸の関心は、日独のナチ文学研究の成果と、自身のラーゲルレーヴ研究の成果を踏まえ、ラーゲルレーヴ、内村鑑三、ナチズムのいずれにもシンパシーを抱いたグンデルトの目を通して、20世紀前半の日独思想・文化交流の在り方を研究し、現在に続くファシズムの根を考察することにあります。

プロジェクト人魚の共同研究

 プロジェクト人魚では、各メンバーがこれまでの研究を深化させる形で、明治・大正期の思想・文化の日独交流に関する研究を行います。上述した「ハンブルク大学日本学科」「お雇い外国人/日本の外国人教員」「歌舞伎の翻訳」といったテーマは、各メンバーのこれまでの研究から導き出されてきたものです。プロジェクトの共同研究にあたり、グンデルトと並んでわたしたちが着目しているのが、カール・フローレンツ(Karl Florenz, 1865-1939)です。フローレンツは、1889年から東京帝国大学でお雇い外国人としてドイツ文学の講義を担当する一方、自身は日本文学・文化の研究者として、博士論文『神代紀研究』の執筆や、『万葉集』の翻訳(第二次世界大戦で焼失)に努め、1919年に創立されたハンブルク大学日本学科の初代教授となりました。グンデルトは、フローレンツの後任に当たります。フローレンツはまた、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』をドイツ語訳しました。同作がさらにフランス語訳されてパリ万博(1900)で上演されたことで、ヨーロッパでも日本の歌舞伎が上演されるようになりました。兼岡と加藤は、フローレンツの古代文学研究と歌舞伎翻訳を手掛かりに、日本文学研究の立場から当プロジェクトに参加します。
 兼岡理恵は、風土記の受容や近代の「郷土教育」「郷土研究」との関連を考察し、2018年度前期のハンブルク大学日本学科での在外研究を機に、芳賀矢一、カール・フローレンツ等に着目しました。芳賀矢一は、ドイツに留学して文献学を学んだ国文学者です。兼岡は、明治・大正期に、お雇い外国人や留学生による交流を通じて成立した、江戸時代の「国学」とは違う欧米式・近代的な「文学研究」の手法に着目します。
 加藤敦子は、歌舞伎・文楽の研究者として、近世演劇における、中国、朝鮮、蝦夷、琉球といった「異国」「異人」の「キリシタン」「ガマ仙人」としての表象のあり方を研究してきました。当プロジェクトでは、欧米における日本演劇の紹介と歌舞伎等における西洋文学作品の受容を双方向から考察します。明治・大正期には欧米で日本の歌舞伎が上演されたほか、日本では欧米の作品の翻訳・翻案が西洋風演劇もしくは歌舞伎として上演されました。加藤は、日本の演劇運動における欧米の演劇の影響を考察し、明治・大正期の演劇・歌舞伎における国家表象を江戸時代の歌舞伎と比較します。
お雇い外国人として教鞭をとったのは、ドイツ人だけではありません。また、「郷土芸術」「血と大地」に類した思想もヨーロッパ各地にありました。田中琢三は、これまで、フランスのモーリス・バレス(Maurice Barrès, 1862-1923)をはじめとするフランスのナショナリズムと地方主義、そのドイツとの関連を考察してきました。バレスの思想は、「大地と死者」思想の源流とされ、ドイツの「血と大地」思想と多くの共通点があります。こうした思想は、東京帝国大学仏文科のお雇い外国人エミール・エック(Émile Heck, 1866-1943)らを通じて、戦前の日本に伝播しました。田中は、フランスのナショナリズムと、東京帝国大学仏文科における受容を、東京帝国大学独文科におけるファシズム受容と比較しつつ考察します。